大義名分〜私の髪は誰のもの〜 seane1

あの震災直後、私が住んでいた辺りは断水だった。

正式には、断水だったのはお隣の新興埋立高級住宅地。こちらの古株埋立地は捻れば水が通ったんだけれども、とはいえ雨水がブロック塀をつたう程度のほんの細い筋でしかなかったので、せっかくガスがついてもお湯になるには役不足だった。当時肩甲骨にかかる程度のロングヘアだった髪の毛を洗おうにも、水の量が足らないし、仮に必要量貯めたとして、水道水を直にかぶるには酷な季節で、どちらもそれぞれの意味で気の遠くなるような話。どうしたものかと長い髪を持て余しながら、ふと思った。

「あー、私には何も無いや」

物心ついた時から人生の殆どをショートカットで過ごしてきた私にとって、ロングヘアは”イベント”。成人式、卒業式、地毛でヘアセットしたくてだいたい1年半くらいかけて伸ばしては、事が終わるとこれ見よがしにバッサリとあっさりその長髪を捨てる、そんなイベント。目的のために髪を伸ばし、それを達成するとご褒美と言わんばかりに髪を切って楽しんでいた。

でもその当時、私には確固たる目的がなかった。社会人になって丸3年を迎えようとしていた私に、何かイベントらしいイベントは用意されていない。ただぼんやりと、もっと女性らしくなりたくって、当時お付き合いしていた彼との結婚にも淡い期待を寄せながら、なんとなく髪の毛を伸ばしていた。

きっとあの被災地には、卒業式入学式を控える女の子がいるだろう。七五三や成人式、結婚式を控えている女性もいるだろう。きっとたくさんの女の子が、女性が、その特別な日を一番素敵な自分で迎えるために、ロングヘアにしていたはずだ。あの髪型にするにはもう少しかな、毛先が傷んだから短くならない程度に切ろうかな、そんなことを考えながら髪の毛を伸ばしていた子がいるはずだ。

「今お水を使うのは、私じゃない」

今長い髪の毛を洗うために水を使うべきは、そういう子たちだ。迎えたい日があって、整えなければならない身形があって、その為に美しく見せたい自分がいて、そしてそれを待ち望んでいる誰かがいる、そういう人たちだ。自己満足といつ起こるかもわからない不確かなものの為になんとなくロングヘアにした、私じゃない。私が髪の毛を洗う分のお水が、そんな彼女たちにまわれば、それでいい。

当時お願いしていた美容師さんにすぐメールをして、確かその当日か翌日に予約をとった。美容室を訪れ、洗髪できなくて不便だからエマ・ワトソンくらい短くしてくれと言うと、私の髪型遍歴を知っている美容師さんもさすがに目をまん丸くしていた。本当にいいのかと何回か確かめた後に、ちょっと待ってて、とわざわざ新しいカミソリをおろして丁寧にその第一刀を入れてくれた時は、言葉じゃ表せないくらいとっても嬉しかった。

そうして刈上げた私のベリーショートは、とりわけ男性に大好評で。上司は私を色っぽいと絶賛し、同僚は刈上げを面白がってはよく触り、街中で声をかけられる回数がロングの時よりも増えた。一番興味深かったのはお付き合いしていた彼で、目をハートにしてベタ褒めだった。まぁそのままその刈上げをキープした訳じゃなく、またなんとなく伸ばし始めたせいか、その彼とはその夏にお別れしたけど。

〜つづく〜

Kiss, Hug and Smile.

ミーハー偏屈オンナによる素直な文章、いかが?

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