最も惨めな記憶

何年か前のクリスマス女子会での私をどうぞ。


ある女性の、"今の道を志す前のクリスマス" を回想している投稿が目にとまって、その文章に激しい違和感を憶えたんです。売れっ子の女性起業家さん。

一念発起する前の彼女:

キラキラと輝き浮き足立つ世間様からは程遠く、あまりにも惨めな自分。


きっとその方にとっては、

こんな惨めな自分は嫌!こんな惨めさからいち早く脱して幸せになってやるんだ!

っていう気持ちがガソリンとなって "なりたい自分" を実現するためにここまで頑張ってこられたと思うんですね。

私は今、"自分の人生" を生きています!あの頃とはまったく違う人生を!!




?????


あれ、なんだろう。この素敵なサクセスストーリーに対する違和感。

(なんつーか今までこの人に感じてきた違和感の最たるものだな…)


ということで己の最も惨めな頃を振り返ってみた。

新卒で入社して1年目、営業職だった頃。

ありとあらゆる自分の価値観を全否定され続け、自らも己を全否定し続け、

「お前は打っても響かない」と自分の感受性を全否定され続けた結果、至った結論は

「自分の苦しみを理解してもらうには、自ら死ぬしかない。」

次の瞬間、僕はそんな自分が惨めで惨めで、散らかった部屋でヘドロを垂れ流すように泣いた。

たくさん愛してもらってきたじゃないか、私を受け容れてくれる大好きな人達がいるじゃないか

死ぬ気なんて無いくせに、命ある限り生き続けたいくせに

なのに私はこの20年間すべてを否定するのか?!

そんな結論しか導き出せない自分が惨めで情けなくて、自分という存在を掻きむしってしまいたかった。

この頃両親に書いた手紙を1,2年後に読み返したら、未練タラタラの遺書でしかなかったっけ。


そんな私が持ち堪えたのは、ただひとつ。(以下mixiからだよ!!!!笑)


この後、私は営業職から事務職へ異動になります。

関東大震災を機に実家へ戻った結果、6年間その会社に勤めることができました。

そして退職後マレーシアに半年間語学留学、帰国して1年間プータロー。

OL復帰とほぼ同じくしてカウンセリングに通い出し自分に向うこと8ヶ月、功を奏して旦那様と出会い、今、

ただの無職です(ドーン!

\よっ!潔いね!女だね!!/


私があの時あそこまで苦しかった理由:

自分が己を全否定すること=自分を支える大好きな人達を全否定すること。

そして無職となった今、私は

あの頃と同じ、私の人生を生きています。

僕は生まれ変わってもいないし、変身もしていない。私という人間が生まれ育ってきた人生そのものは、何も変わっちゃいない。


私が生きてきたこの数十年の中に、その時その時の私が存在します。

それぞれの私が、その瞬間その瞬間、私という大切な自分自身を守り抜くためにベストを尽くしてきました。その集大成が今の私であり、そして未来の私は今これからの私の集大成です。

カウンセリングを受けながら堅く決めたこと:

どんな時の私も、おいてきぼりにすることなく、必ず迎えに行く。

その時の経験値と思考の精一杯で私自身を守ってくれた私たちに、

存在を掻きむしりたくなるほどに惨めだった自分に、遺書のような手紙しか書けなかった私に、

そして、それでもみんなに恥じない自分でいたいと強く決めた自分に、


ありがとう、だーい好きだよ♡


僭越ながら。

私が彼女の文章(というより、今まで拝見してきた投稿全般)に感じてきた違和感というのは

"今の自分" だけを肯定していることに対するものでした。

(多分彼女劣等感ハンパないと思う、文章から鬱々と屈折したものを感じるのよ、今回のはそれが凝縮されてた。)

と、いうことは、つまり

私も少なからずこの "最も惨めな記憶" を肯定しきれていない、ということだったのです。


あなたの最も惨めな記憶はなんですか? 

Kiss, Hug and Smile.

ミーハー偏屈オンナによる素直な文章、いかが?

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