廻る音に耳をすませば

こういう時、うちの父は寝ない。企業戦士40年になろうとしてる人間の集中力っていうのはすごいもんだな、と思う。

最近はまた夜勤があるお仕事に従事している。昔夜勤があった頃に比べればもちろん歳はとっているし、体力も落ちているに決まっている。久しぶりに運動してどこか痛めて帰ってくれば、もう昔と違うんだから、とでも言いたくなる。でも、父の集中力はすごい。それは私が幼い頃から変わらない。


私にとって、父と彼の仕事はイコールだ。彼がどれだけその仕事にかけてきたかもインプットしてきた。その倫理観も仕事内容も、絶対的で、私には踏み入ることができないものだと思っている。だからこそ私は、同じ仕事を選んだ人にとても厳しい目を向けていたし、それを選ぶという選択肢がなかった。彼の仕事は私にとってある意味 ”聖域” になのだ。

私はファザコンだ。自分の父が世界で一番格好良いと思ってきた。物心ついてしばらくは、父以外の男性を受け入れなかった。幼い頃はもっぱら父の体で遊んだし、記憶の中で母の手を選んだことはない。背広姿で授業参観に来る父の姿が誇らしかったし、どうしてこんなに格好良い父と母が結婚できたのか不思議で仕方なかった。自転車で事故にあって病院に開けつけた父に大声で怒鳴られた時も、赤点をとって平手で殴られた時も、それでもその瞬間にこう思っていたーお父さんはやっぱり凄い。反感や反論を持ったことが無い訳ではない、でも否定するという観点を持っていなかったように思う。

そんな私に、父の全てを疑わざるを得ない出来事があった。それは言うなれば、父に全幅の信頼を置いてきた自分自身を全否定するに等しかったと、今この文章を打ちながら気付いている。当時の私は思春期というタイミングも相まって、自分に流れている血に恐怖を感じるほどだった。ハードもソフトもその多くを父から受け継いでいると自覚しているからこそ、私は自分に流れる血が怖かった。

それでも父の凄さを思い出させたのはその "聖域" だった。彼がその職を志してから縁も所縁もない土地でやっていることの本質は、私がどうあろうが変わらない。自分が社会に出て彼とまったく違う状況に置かれても、磁石の両極の如く反発してもなお、私が上司にしたい人間は彼であり、最も尊敬する仕事人は父なのだ。幼い頃から耳にしてきた志も目にしてきた姿勢も、彼は曲げることをしない。たかが子供の分際でそう思っている。


私は自分の洞察力、みたいなものにそれなりの自負心がある。でもそれは、遺伝子的に言えば父から譲り受けたものだ。二つの意味でよく効く鼻も共感力も、彼から譲り受け彼に鍛えられた。だとすれば、私にもこの集中力が備わっているだろうか。夢を叶える集中力が、備わっているだろうか。僕の血は、脈々と受け継がれてきた血は、今の私に何を語るだろう。

耳を澄ませ。廻る音に、脈打つ声に。

己の聖域に、踏み込む力に。


Kiss, Hug and Smile.

ミーハー偏屈オンナによる素直な文章、いかが?

0コメント

  • 1000 / 1000