綺麗に愛して〜love every inch of me〜

そこはまるで淑女の住む邸宅、静かだか華やかに色めく上品さ。

すぐに声をかけてくれた女性に「Lady Diorを見に来ました」と告げると、彼女は快く二階に案内してくれた。百聞は一見に如かず、とはまさにこのこと。深みのあるブラックに嫌味のない軽やかなゴールド、ピクリとも動かない八つの角が支えるボディとは裏腹に女性の体に寄り添う柔らかな存在感。圧倒的だった。それは女性として抗えない引力のように思えた。

私はiconicな物が好きだ。何を知るにもそこを押さえておけばまず間違いないし、大抵そこには重要なストーリーが付随している。それはこのLady Dior然り。

唸りながらまじまじとLadyを見つめる私に、彼女は少しづつそのストーリーを伝えてくれた。どうして "Lady" と呼ばれるのか、どうしてキルティングと呼ばず "カナージュ" なのか、そしてそこにどんな想いが込められているのか。中でも私が感動したのは、開口部のつくりだ。そのすべてが女性への愛に満ちていた。それは、コルセットに象徴される不自由さからの解放と新しい美しさを表現した、女性であるココ・シャネルとは違っている。あくまでもMonsieur Christian Diorが、女性に最大限美しく在って欲しいと願う試行錯誤の賜物なのだ。つまりこのLady Diorは、男性から女性への愛が形になったバッグ、と言えるだろう。パーツすべてに女性を美しくする意味があり、その存在自体が男性からの愛である。


昔一人の男性に片思いしていたことがある。その男性に好意を持ったきっかけは、焼き魚の食べ方だった。彼は秋刀魚を綺麗に食べた。綺麗に、というのは所作もそうだが、彼は秋刀魚を余すことなく食べたのだ。お皿に残ったのは漫画に出てくるような頭から尾びれまでの骨だけ。その光景を見て、私はそれまでなんとも思っていなかった彼にとてつもない色気を感じてしまった。秋刀魚をここまで隅から隅まで綺麗に食べる男なら、きっと女性のことも同じように愛するに違いない、そう思った。まぁ、彼と相思相愛の恋仲になることはなかったので確認のしようがないが。笑


つまり、私は隅から隅まで愛されたいのだ。Lady Diorに感じたあの抗えない引力と、焼き魚の食べ方、二つの点はまさかのここで線となる。


今のお勤めを始めてから、平日と休日の垣根をなくすように努めている。会社にジーパンスニーカーで行く日もあれば、ワンピースにパンプスで行く日もある。ひっつめにほぼすっぴんで行くも、髪も顔もばっちりキメて行くも、つまりは朝の気分次第で私の自由だ。だが最近、そんな自分を持て余していた。もちろん、男性とご一緒するときは男性に恥をかかせない格好をしていきたいし、女性とご一緒するときは同性に素敵だと思われる格好を、初対面の方に会うなら最低限失礼のない格好をしたい。そういう格好をすると背筋がシャンとする。今日母と近所に買物に行くのに、私が選んだのはジーパンにコットンセーターにニットキャップ、全部無地でネイビー。足元だけ花柄のスニーカーを履いた。でも別に猫背で踵を擦って歩くわけじゃない、私の歩き方はいつだって一緒だ。今日私は、そんな自分がとても愛おしく感じたし、その格好をした自分がとても好きだった。


私も愛してよ、綺麗でシャンとしていなくたって、地味でも、綺麗でしょ?

そんな私だって、大好きでしょう?

「私だってここにいるよ」そう言われている気がしたのだ。


そんな私を愛してあげたい、そんな私が愛おしい。背伸びしなきゃならないような、体裁を気にしなきゃならないような男性は、いいや。全部愛して欲しい。気張った私も、だらけた私も、化粧濃い私もすっぴんの私も、全部まるっと愛したい、愛して欲しい。そうやってまるっと己を愛する先に、私を隅から隅まで綺麗に愛するパートナーが現れるんだろう。


ココ・シャネルのマトラッセはいつか自分で手に入れたい!と思ったけど、Christian DiorのLady Diorは、男性からプレゼントされたいな♡

Kiss, Hug and Smile.

ミーハー偏屈オンナによる素直な文章、いかが?

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